prayer

僕の声は聴こえていますか?

苦労

 自己肯定感の低さについて考えた時に、自分が苦労から逃げ続けた人生だったのではないかと思った。

 

 小学生の頃は運動神経が悪かったからそれを改善しようと努力したがなかなか成果が出ず、最後には諦めてしまった。中学生の時には委員長をやったがうまく委員会をまとめることができずにそこから人の上に立つことを拒むようになってしまった。高校生では音楽に興味があったので部活に入ってギターを買ったが、周りの人は具体的に好きなアーティストがいて周囲を巻き込んでバンドを組んでいる中自分はBGMが好きでそれを引けるようになりたいといった程度で好きなアーティストもおらず、モチベーションも上がらなかった。そんな感じでなあなあに過ごしていると実力差が開かないはずもなく、その中で自分が部活にいる意味が分からなくなり、苦しくなって部活に顔を出すのをやめた。

 

 で今。就活をする上で話のネタになる経験を積もうとしているがどうしてもそれが自分に合っていると思わないし、目的達成のためには別の手段も考えられる。ただここで逃げるとまた苦労に向き合わずに終わってしまうと思うとしんどい。

 

 別にこれまでの人生で一切苦労を経験しなかったわけではない。受験は1年半ぐらい必死に勉強してなんちゃって旧帝には合格したし、バイトは人より仕事を覚えるのが遅かったので半年経つぐらいまでめちゃくちゃ怒られたが、バイトの作業程度で音を上げていたら社会に出た時に使い物にならないと思って人並には仕事ができるまで続けた。

 

 自分にとって苦労は2種類あり、諦める選択肢がある苦労とない苦労だ。諦める選択肢がある方は別にする必要がない苦労ということなのだろうか。実際運動神経がなくて困ったことは覚えている限りではないし、楽器を弾けなくて困った経験もない。逆に勉強とかバイトの我慢はしてなかったら困ることが多そうで、自分に合うバイトがないとか環境のせいにしてバイト先を転々としていそうではある。受験勉強とかバイトをしている最中は本気でやめたいと思ったことがない、というか諦めるという選択肢がなかった。

 

 だとしても苦労を乗り越えることが美談として称賛されるこの社会では向いていなさそうな考え方だが。これが方法にこだわらずに障壁の抜け道の探す力であれば、自分の武器まで昇華させられたら自分を尊重できるようになるのだろうか。

意識

今のカスみたいな自分を変えたいと思って、新しいことに挑戦しようとして、見た目とか、能力とか、よく見せたいと思っても自分にはできないと思って諦めて、これを続けて21年。意識が高い人に触発された後に自分はこうはなれないと我に返って萎え続ける人生。


自分がこの人みたいに生き生きしたいなと思って真似しようとしても真似出来ない。

でも社会で評価してもらえるのは前者。
背伸びして生きるのは疲れるけど等身大の自分が社会で評価してもらえるわけじゃない。

理想だけ高くて能力が低い人の生き方 検索